天空の星が並ぶとき
今年のツアーの最中に迎えた誕生日のことをお話ししたい。
トロントでの1日2回公演の直後に搬出。ベッドより高速道路での睡眠時間の方が長いという状況だったが、真夜中に国境線を超えるため、途中で起こされる。私の故郷ボストンで搬入と2日続けての1日2回公演を終え、週末に搬出。神韻世界芸術団の2017年ツアーのスケジュールだ。
48時間後、全てのエネルギーを絞り尽くしてバスの座席に沈み込んだ。完全に疲労困憊。空腹感は痛みに変わっていたが、素晴らしい満足感に包まれていた。
4回公演とも満員御礼。観客は素晴らしく、家族や旧友にも多く会えた。しかしこの満足感を占めるものは1つの悟りからくるものだった。日曜の夜、幕が降りた時、突然、ひらめいたのだ。世界をあちこち巡回しているが、それとは別になにか偉大な力――日常のものを超えたグランド・プラン――に自分が誘導されていることに気付かされた。
幼少時代の思い出、信念をいかに担うか、自分の成すべきことをいかに遂行していくかという悟りについて綴りたい。
我が故郷 ボストン
過密スケジュールの週末に、バスの車窓から、夜、寝ぼけ眼で見た故郷だったが、それでも通りの一本一本や建物の一軒一軒を見ながら思い出が甦り、胸が踊った。
会場のワン劇場は、ボストン・コモンと呼ばれる私にとって馴染み深い公園のすぐ近くにあった。子供の頃、日曜の午後、よくこの大きな公園で過ごした。アメリカで最も古い公園だ。ブランコから子供用プール、馬小屋の順に回るのが大好きだった(馬が餌を喰む様子は目には興味深いが鼻には辛かった思い出がある)。
12月はプールが凍結し、スケートリンクと化し、多くの人々が終わりのない円を描いて滑っていた。木も屋根も自動車も、目に入るもの全ては30センチの雪が積もっていた。正確に時を告げる時計台。どこからか流れるジングルベルの音楽。蜂蜜をからめた木の実を煎った香りが漂う。スクルージおじさんも笑顔になるのではないかと思うほどの心温まる光景だった。完璧な冬休みの思い出が詰まっている場所だ。
小学校時代、母と一緒に手押し車をカタカタ鳴らして、毎週公園を訪れた。でも休みの楽しみのためではなかった。
公園で
世界70カ国以上の何千万人の修煉者の例に漏れず、私の家族は法輪功の煉功をしに公園に行ったのだ。法輪功は心身を向上させる古代からの修煉方法だ。アメリカの公園でジョギングやハイキングがよく見受けられるように、中国では公園での気功風景はよく目にする。小さい頃、家でも学校でも真善忍の理念に従っているかを常に自分に言い聞かせていた。
しかし、ある年の夏に全てが変わった。
1999年7月、中国の共産党政権による法輪功の迫害が始まったのだ。いわれのない残虐なものだった。書籍が焼かれ、党が管轄する中央テレビのネットワーク全てを通してプロパガンダが流され、偽りの裁判が行われ、法に基づかない家宅捜査、逮捕、刑の宣告が展開された。拘束中の拷問では死者が出た。
中国の法輪功修煉者はこの不当な行為に平穏に抗議したが、残忍な扱いが待っていた。中国から聞き漏れる話に私たちは愕然とした。グローバルな草の根の動きが芽生えた。人権と信念の自由を尊重する国に住む者は、認識を高めるために行動を起こした。以後、単に煉功するだけでなく、恐ろしい迫害を人々に知らせて犯罪を暴露するために、公園に行くようにもなった。
チェリーをのせたアイスクリームが自由に食べられる国に住んでいると、国外で数百万人が直面している恐ろしい弾圧を想像することは難しい。しかし身の毛のよだつ現実なのだ。まだ幼かったが、突然、人生が緊迫するようになった。以降、パレードや静かな集会、ろうそくを灯した瞑想に参加し、署名用紙を回して様々な人々と話しをするようになった。ボストン・コモンは、世界の数多くの公園同様、真実を伝える貴重な場となった。良心的な法輪功修煉者とその子どもたちにとっては、日だまりの午後のひとときやフリスビーができる野原以上の意味を持つようになった。
というわけで、私は並行する2つの世界の中で育った。前提、代数、古代ローマの法令を学ぶ世界と、母について人権擁護のために公共の場でスピーチをしたり、国連に赴く世界だ。半世紀前、世界は怒りにおののき「二度と繰り返してはならない!」と叫んだ。しかし、また繰り返されているのだ。世界の数十カ国の人々と同じ信念をもつ中国の人々が命を落とし、家を失っている。中国国外にいる私たちには、真実を伝え、できる形でこの不当な行為を止める責務がある。ボストンを超えて、母と私はニューヨーク市、ヒューストン、ワシントンDC、ジュネーブ、レイキャビク(アイスランド)などを訪れた。どの地区にも素晴らしい公園があった。
公園から舞台へ
15才のとき、運命が変わった。よちよち歩きでピンク色のチュチュを身につけていた子どもが、再びダンススタジオに戻り、舞台に立つようになったのだ。
神韻芸術団の舞台は、照明、オーケストラの生演奏、デジタルの舞台背景、王女様になったかのような衣装の数々と、幼いころのダンスのレッスンとは大違い。この時点から、チラシ配りやパレードや公園での活動とは遠ざかる。馬がいるとしたら、モンゴルの草原を駆け抜けており、ブランコがあるとしたら、リズムに合わせた我々の身体そのものだ。神韻の団員として厳しい養成を経て、遠方に旅し、心をこめて舞台でくるくると回転した。
振り返ってみると、公園から舞台に移行したが、その真髄は変わっていない。神韻の舞台のメッセージである正統文化、古代から今日までの真の中国は、公園で伝えてきたことなのだ。私が舞台を踏むところ――ロンドン・コロシアムからシドニーのキャピトル劇場まで――世界中の数百の会場が、私にとっては新しい「ボストン・コモン」なのだ。
天空の星が並んだ
神韻には5つの芸術団がある。私の誕生日に「ボストン・コモン」から数分の劇場で、日曜の午後、公演するという確率はどれほど低いだろう?
さらに会場はワン劇場(私の名前もワンなので、ちょっと縁を感じる)。最後の演目では法輪功修煉者たちが公演で打坐する場面がある。天空の星が一直線に並んだに違いない。
10年前に出会った縁のある人々が座席に座っているかもしれない。縁はあったが会いそこねた人々も、運命の女神に導かれて、週末の舞台を見に来ていたかもしれない。
ベティー・ワン
寄稿者
2017年8月11日