笏(しゃく)
笏とは、古代の統治者やその大臣が朝廷に出向く際に手にしていた札(ふだ)のことで、「漏れを防ぐために用意された道具」(『釋名』より)でした。『礼記』には笏の使い方と形が詳しく記されています。
「朝廷で君主に応対するとき、指を使って行う際、直接手を使わずに笏を代用した...覚えておきたいことを笏に書き留めていたので、もともとは筆記用具だった。 その後、笏を持つ者の優劣を区別するために、笏の外観を美しくする装飾として象牙や翡翠が使われるようになる。平均的な長さは2尺6寸で、最も幅の広い中央部分は3寸(周代の1尺=約23.1センチ)。 天子の笏は翡翠、諸侯の笏は象牙、大侯の笏は竹製で鮫のひげで飾られ、学者の笏は竹製で象牙の装飾があった」。 皇帝と大名の笏は中央から上に向かって細くなっており、大官と学者の笏は中央から下に向かって細くなっていました。
昔、朝廷で乗馬の務めのあった役人は、笏を腰帯に差しました。 唐の玄宗皇帝の時代、賢宰相の張九陵は高齢で体が弱く、謁見の際に馬に乗ることができなかったため、役人が朝廷に持参するための蓑を作り、以後、蓑で笏を包むことが役人の間で流行しました。
殷周時代にはすでに烏頭の使用が始まっており、その後の王朝では上級と下級を区別するために、使用する素材に決まりがありました。 明の時代、四位以上は象牙、五位以下は木が使われました。 清の時代、満州族が中央平原を支配するようになると、儀礼や習慣の違いから、笏は使われなくなりました。
中国の伝統文化では、笏は儒教の儀式、名誉ある身分の象徴です。唐代中期の名将・郭 子儀(かく しぎ)の60歳の誕生祝いに、朝廷の名士7人の息子と8人の婿が、床の頭上に笏を敷き詰めたという「満床の笏」の逸話は、歴史的にも有名です。人々に好まれ、戯曲にもなりました。後世の人々は、富と不老長寿と孫の代償として生涯を善行に費やした郭 子儀のようになりたいと願ったのです。中国の四代小説の一つ『紅樓夢(こうろうむ)』に見られるように、多くの文学作品でも笏はより深い文化的なイメージを導き出すために使われてきました。「質素な部屋は空っぽだが、床は笏であふれている。」名声も財産も空になってしまったのだから、一刻も早く自らを修めるようにという仏教文化を伝えています。
2012年3月3日