沙悟浄にさらわれた私
「人生がレモンのように酸っぱくて悲しいと感じたら、レモネードを作ろう」とは言ってみても、水も砂糖もなかったらどうするの? 眉間にシワを寄せ、悩む日もあるが、神韻の演目に現れる人々の苦境に触れたら、レモンのような日々が酸っぱいと感じなくなってしまった。
神韻芸術団に入って以来、悲惨な状況を乗り越える様々な人々の役を演じてきた。悪漢にいじめられ、虎に食べられそうになり、津波、雪崩、隕石からも生き延びた。
例えば 『嫦娥、月に昇る』『嫦娥、月に昇る』では、祖父と散歩をする少女を演じた。突然、8羽のとてつもなく大きな鳥が燃えたぎる太陽に変身し、200度以上で地面を焼き焦がし始める。村人たちはとにかく体を冷やそうとするが、どんどん暑くなるばかりだ。私はこの場からおじいさんを引っ張り出すが、おじいさんは灼熱に耐えられず、脱水症状となり倒れてしまう。
すべての希望が失われた瞬間、かつて月の女神だった嫦娥(じょうが)と人間である夫の後羿(ごけい)が、救いの手を差し伸べる。後羿は天から授かった弓矢を用いて太陽を射る。最後の太陽に照準を当てたとき、嫦娥が空に太陽を一つ残すように説得する。こうして後羿は地上に陽光を残し、村人すべて(おじいさんも)を救う。皆、意識が戻り、めでたし、めでたし。
2011年の『英雄・魯智深』では、商人を演じた。仲間と商用の旅の途中、悪漢に襲われ、命からがら逃げ切ろうとする。
そこで、文字通り、魯智深にぶつかる。飲酒のため寺院から追い出されたこの僧侶は、まだ足下がふらついていた。智深は振り返りかんしゃくを起こすが、ぶつかったことで正気に戻った様子。悪漢から自分たちを守って欲しいと乞うと、喜んで引き受けてくれた。幸運にも素手の闘いは智深の得意とするところだったので、この酔っぱらいの僧侶は、いとも簡単に悪漢をやっつけた。
2013年には、またひどい目に遭った。『西遊記』の一話に基づく演目だった。
舞台は遥かかなた、流沙河のほとりにある小さな村落。悲しいことに、この河は人食い妖仙の住処でもあり、時折村人たちが襲われていた。
子どもたちが河のほとりで遊び戯れている光景から演目は始まる。私は大好きな風ぐるまを回し、友達は貝殻を集めていた。すると突然、波が垂直に上がり、妖仙が現れ、歯を剝き出してうなった(空腹でお腹が鳴っていたのかな?)。あっという間に、私は、ずだ袋のようにこの妖怪の肩に掛けられ、河に連れ去られ、泥にまみれた河底へと投げ込まれる。
風ぐるまの少女はどうなってしまったの? 調理される前に太らされた? それともその場で食べられた?
幸いにも、人食いの妖怪でさえ、心を入れ替えることができる。菩薩の助けで妖仙は佛に仕える身となる。沙悟浄と命名され、天竺に経典を取りに向かう三蔵法師を守る孫悟空、猪八戒の一行に加わるのだ。そして、少女は家族や友人のもとに戻る。めでたし、めでたし。
私の悪夢はこれで終わるのだろうか。次のシーズンにはどのような困難が待ち受けているのだろう。
アリソン・チェン(陳超慧)
プリンシパル・ダンサー
2014年1月5日